ようこそ鈴蘭台福音教会へ☆

鈴蘭台福音教会のホームページにようこそ。
私たちの教会は、緑豊かな神戸市北区にある、
家庭的なプロテスタント教会です。
毎週の礼拝の他に、各種集会やイベント等を行っています。
教会は初めてという方も、どうぞお気軽にお越しください。
令和2年度より礼拝は三部制(9:30、11:00、16:30)で行っています。
第二礼拝はYoutube配信もあります。
➡緊急事態宣言が延長されました。
R3.9.19(日)~R3.9.26(日)の礼拝はYoutube配信で、10時半開始です。

今年度標語
「新会堂を目指して(2年目)」
今年度聖句
イザヤ書43章19節
「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。」

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★2021.6.13 6月の教会カレンダーを更新しました。
★2021.4.4 今年度聖句を更新しました。

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礼拝メッセージ new!

2021年9月26日(日)「まさか私では」マルコの福音書14章12~21節

「あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを
裏切ります。」と主イエス・キリストが言われた時、弟子たちはみな
「まさか私ではないでしょう。」と動揺をして言った。
19節には「悲しくなり」とあり、その言葉は10章22節の「悲しみながら」
立ち去った若い金持ちの青年と同じ言葉です。
その悲しみは永遠の命を失う言葉でもありました。
ここでは、

1.弟子たちも罪を持っていた。(19節)
「まさか私ではないでしょう。」と自分ではないとはっきり言い切れる弟子は
一人もいなかったのです。私たちも罪がないと言い切る人は一人もいません。
「義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。
・・善を行う者はいない。だれ一人いない。」のです。(ローマ3・10~12)。

2.裏切り者の救いのため(ルカの福音書19章10節)
弟子たちは、収税人ザアカイ同様みな罪人でした。そのために罪の赦しが必要な者
たちです。私たちもあのイスカリオテのユダが人ごとでなくなる時、
イエス・キリストに一歩近づくのです。

3.裏切り者の罪を背負われた。(イザヤ書53章6節)
イエス・キリストはイスカリオテのユダに言われました。「人の子を裏切る
その人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」
(21)と厳しい言葉をかけますが、生まれて来なければよかった者が生まれて
来てよかったと誇れるようになるために主イエス・キリストは裏切りの罪を一人で
背負われたのです。「しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。」
私たちもその十字架の恵みに生かされ、前を向いて生きるのです。

2021年6月13日(日)「子どもの祝福」マルコの福音書10章13~16節

6月の第2聖日は花の日(子どもの日)の礼拝です。この日は19世紀末、アメリカの
日曜日運動の中から生まれた日で、教会に集まる子どもたち、この社会で育つ子どもたち
のために祈る日でもあります。緊急事態宣言のため、子どもたちが教会に集っては
いませんがしかし、そのことを覚えて祈りたいのです。

1.子どもを招くイエス・キリスト(14節)
子どもは弱く、小さく、病気にもなりやすいですが、無限の可能性をもち、また希望を
示すのも子どもたちです。イエス・キリストの弟子は子どもを低く見ていたため、
イエス・キリストが子どものことで手を煩わせては大変と思い、親たちが子どもを
イエス・キリストのもとに連れてこようとしたのを妨げたのです。
しかし、イエス・キリストはそのことを見て弟子たちを叱り、「子どもたちを、
わたしのところに来させなさい。」と招かれたのです。神の国、主イエス・キリストの
支配するところはこのような子どもたちが入ることができる場所です。

2.子どもを祝福するイエス・キリスト(16節)
イエス・キリストは子どもを愛し、祝福の祈りをささげるお方です。イエス・キリストは
子どもたちを抱き、手を置いて祝福したのです。とても麗しい関係です。そして、子ども
は無心で神の祝福を受け取ります。私たちも子どものように、無心になって神からの祝福
を求めましょう。ヤコブの言葉を思い出しましょう。「私はあなたを去らせません。
私を祝福してくださらなければ。」と。(創32・26)

2021年6月6日(日)「祈りの家か強盗の巣か」マルコの福音書11章12~19節

先週よりマルコの福音書の11章に入っています。イエス・キリストの一行はべタニアを
出てエルサレムに向かう途中の道にいちじくの木があり、その木をよく見るとその木は
葉のみでありました。この時期はいちじくのなる季節ではなかったのです。イエス・
キリストはその木を呪い、枯らせられたのです。イエス・キリストの振る舞いは
不自然な行動です。
しかし、このことと後のエルサレムでの宮きよめの出来事とは密接な関係があるのです。

1.教会は祈りの家(17節)
イエス・キリストはイザヤ書56章7節のみ言葉を引用して、神殿は強盗の巣ではなく、
祈りの家であると教えたのです。そのため宮きよめをイエス・キリストはされました。
現代のキリストの教会も祈りによって建て上げられるものです。ですから私たちは教会で
祈ることの大切さを教えられます。しかし、祈りは楽しい祈りもありますが、痛みを
覚えて祈る祈りもあります。私たちのキリストの教会は今、祈りの家、祈りの教会と
なっているでしょうか。

2.教会は神のもの(17節)
エルサレムの神殿で商売をしている人たちがいて、イエス・キリストは宮きよめを
されました。私たちも「教会は人間のもの、私のものだ」と考えやすいものです。
イエス・キリストの宮きよめをし、「強盗の巣」という告発を祭司長たちは、
自分たちに向けられていると知り、反感をもち律法学者たちとともにイエス・キリストを
殺そうと相談するのです。この後、捕らえられ、イエス・キリストは十字架に
かかられたのです。

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連絡・報告 new!

2021年5月2日(日)

●体の弱さを覚えておられる方のためにお祈りください。特に高齢でご入院中の方を覚えてお祈りください。
●新会堂建築(教会の設計)のためにお祈りください。

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