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礼拝

2018年7月1日(日)「上からの祝福」創世記28章10~22節

今日は神がヤコブに対して示された祝福とはどんなものか、そしてそれが

私たちにも与えられている神からの祝福であることを共にみたいと思います。

ヤコブは兄エサウに与えられるはずの祝福を奪ったことで、兄より命を

ねらわれ、父の家を出ることになったのです。

 

1.どん底のヤコブ(10、11節)

ヤコブは父より特別な上からの祝福(神の祝福)を受けたにもかかわらず

父の家を出なければならなくなりました。

今までの豊かな生活から逃亡生活となり、石の枕で野宿することになるのです。

今から約4千年前の古代社会での一人旅は危険な旅で、

自分を愛した母との別れ、ヤコブはすべてを失ったかのようです。

自己中心的な罪人の生き方の結果です。

 

2.夢見るヤコブ(12節)

ヤコブが石の枕で寝た場所は神の導きでもあり、そこで夢を見ます。

天からの梯子です。希望を失い、神がいないかのように思える時、

神の方からヤコブに近づかれたのです。

神がヤコブの側におられた。神は神を信じる者の側におられます。

(ヨハネ1・51)

 

3.神の約束を受けるヤコブ(13~15節)

石の枕で横たわっている場所を、ヤコブとヤコブの子孫に与えるという

約束を受けるのです。またその場所に連れ戻すと、

祖父アブラハム、父イサクが神から受けた約束をヤコブも頂いたのです。

聖書は、信仰も神の賜物、救いや神の祝福も神の賜物で、

自分の力で獲得できるものではないことを教えています。

 

2018年6月24日(日)●午前「神の真実」第二テモテへの手紙 章~節

          ●午後「キリストの弟子となる」マタイの福音書28章節~節

※24日は京都から船田献一先生をお招きし、午前と午後の聖会のメッセージを

して頂きました。

 

2018年6月17日(日)「帰るところがあるということ」ルカの福音書15章11~32節

帰るところがあるということは幸せです。

現在日本でも行方不明者が約8万人で、その人達には帰るところが

ないことも原因の一因となっています。

アウグスチヌスは「告白」の中で「あなたは私たちを、ご自分に向けて

お造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、

安らぎを得ることはできないのです。」とあります。

そのように神のもとに帰ることそのことが人間に必要なことです。

イエス・キリストは「群衆を見て、羊飼いのない羊のよう」だと

(マタイ9・36)言われました。

羊飼いがいなければ羊は迷い、弱り死んでしまう存在。

私たちは神によりみな造られた存在ですから神のもとに帰るべき存在

であり、またその場所が用意されていることを覚えたい。

ルカ15章の放蕩息子と父の関係は罪人と神との関係を示しています。

 

1.父は息子を愛するがゆえに待っています。(20節)

財産の半分をもち、行方不明となった息子を父は待っています。

父のもとに帰ってくることを。教会では羊飼いなるイエス・キリストが

待っておられます。

 

2.父はリスクをもって息子を待っています。(30節)

父の周りは息子を父の姿にあわれさを感じ、もう一人の息子は待っている

父を恥じています。今私たちは帰るのに何ももたなくてもよいのです。

だが神は御子イエスの犠牲というリスクをもって待っています。

 

3.父は私たちを息子として待っています。(22~24節)

父は帰ってきた放蕩息子に指輪をさせ、前と変わらず

息子として受け入れました。

子が子であることを拒絶しても父の目には子です。

そのことは罪人が赦され、神の子とされる驚くべき恵みを示しています。

 

2018年6月10日(日)「置かれた場所で咲きなさい」ルカの福音書23章44~48節

今日は花の日礼拝、昨年12月に天に召された渡辺和子先生の「置かれた場所で

咲きなさい」を再度読み、置かれた場所で花を咲かせることの大切さと困難さを

覚えました。しかし、周りをみるとこんな場所できれいな花が咲いていると気づく事も

あります。本の中でこのようにも書いています。「どうしても咲けない時もあります。・・

その代わりに根を下へ下へと降ろして根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、

美しいものとなるために。」とありました。イエス・キリストは、

 

1.苦難を受けられた。(44~46節)

イエス・キリストの生涯は苦難の生涯です。そして十字架はその苦難の絶頂です。

罪なきお方が罪人となられた瞬間でもありました。

私たちも順調な時ばかりではないのです。置かれた場所が困難な場所の時もあります。

 

2.父なる神にゆだねた。(46節)

苦難のとき信仰を捨てず、父なる神に祈ります。その言葉が「父よ。わが霊を御手に

ゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。自分が今花を咲かせていないと思うときも

根を下に下に張ることです。

それは信仰をもち、日々、主のみ言葉で養われていくことです。

 

3.正しい方と評価された。(47節)

百人隊長はイエス・キリストの敵の立場です。しかし、「ほんとうに、この人は

正しい方であった」と言い、群集も胸をたたいて悲しみながら帰ったとあります。

イエス・キリストの姿に心打たれたのです。

私たちの生き様はどのように人々に今映っているのでしょうか。

 

2018年6月3日(日)「急いで降りて来なさい」ルカの福音書19章1~10節

エリコの町でザアカイは有名で、「収税人のかしら」とし人々から嫌われていた。

しかし、イエス・キリストはそのザアカイを見つけ、声をかけ、家で食事をし、交わり(宿泊)

をもちました。この出来事でイエス・キリストが罪人の家にいたと非難を受けます。

それをも受け入れていたのです。ザアカイに対して、

 

1.名を呼ぶイエス・キリスト(5節)

いちじく桑の木に登っていたザアカイに対して「ザアカイ。」とイエス・キリストは

名を呼びます。つまりイエス・キリストはザアカイのことを以前から知っていたのです。

そして名を呼ぶのです。

 

2.「降りてきなさい」と招くイエス・キリスト(5節)

ザアカイに「急いで降りて来なさい。」と言われたのです。どこへ、

それはイエス・キリストの側です。イエス・キリストは常に罪人を招きます。

人はザアカイのように自分の知恵や知識を誇りに生きています。

いちじく桑の木に登るのも知恵で、プライドをもって生きていました。

そして、ザアカイはその呼びかけに答えます。最も絶望的な魂が生まれ変わっていく

瞬間です。

 

3.家に泊まるイエス・キリスト(6~10節)

ザアカイは驚くばかりの恵みと愛に富んだ神のみ前に自分の罪を認め、悔い改め、

今までの行き方と違う別の生き方をします。人は新しく生まれ変わることが

できます。

今は恵みの時、救いの日です。

今急いでイエス・キリストのもとに来る大切な決断をしませんか。

いつまでも延ばしてはならないのです。自らの頑な自我やプライドを一切捨てて。 

2018年5月20日(日)

●本日は午後よりしあわせの村へ、教会学校の子ども達で出かけました。

水遊び場で楽しく遊びました。

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2018年5月13日(日)

●本日は母の日礼拝でした。教会学校より、お母さん達にカーネーションをお送りしました。

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●2017年4月16日 イースター

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●2016年11月20日 子供親睦会(しあわせの村)

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●2016年11月20日 賛美礼拝

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●2016年11月13日 子供祝福式

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