礼拝メッセージ new!

2018年12月9日(日)「よみに床を設けても」詩篇139篇1~12節

聖書に示される神は自分のことをよく知っている神です。ダビデは言います。
「主よ。あなたは私を探り、私を知っています。」(1)と。
神は多くの人の中からの自分を知っているのです。
そして聖書を通して私たちに語りかけているのです。

1.人はみな罪人であり、心に闇を抱えます。
ダビデはこう言います。
「私がよみに床を設けてもそこにあなたはおられます。」(8)
よみとは神のひかりが届いていない場所です。
しかしダビデはそこに神がおられると言うのです。
しかし多くの人はダビデとは違い、やみの世界のなかで光があることを知らず、
見えていないのです。
創世記1章では、
「やみが大水の上にあるところに神は仰せられた。
『光があれ』すると光があった。」(創1・3)と教えています。
このことはどんなやみでも光が差すというメッセージがこめられています。
ただ、人はそのひかりを見えていない人が多いのです。
イエス・キリストの弟子のユダのように、イエス・キリストと共にいて
心に闇を抱え続け、苦しみ続けるのです。

2.イエス・キリストこそ憐れみの光であること
イエスを裏切ったユダは、心の闇に、光なるイエス・キリストが
照ること、神のあわれみを知ることがなかったのです。
使徒信条に「主は・・十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」
とあります。
またヨハネの福音書では「すべての人を照らすそのまことの光が
世に来ようとしていた」とあります。
あなたの心を照らすために、まことの光、憐れみの光として来られたお方が
主なるイエス・キリストです。
その光は昔も今も輝き照らすことを止めません。

カテゴリー: 礼拝 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

Spam Protection by WP-SpamFree