◆4月16日(日) 「自分の正しさと神の知恵の正しさ」
ルカの福音書7章24~35節 バプテスマのヨハネの教えを聞いた民衆はみな洗礼を受け、神の正しさを認めたのです。(29)しかし、パリサイ人たちや律法の専門家たちはその教えを聞きつつも、 神のみこころを拒んだのです。(30)...
ルカの福音書7章24~35節 バプテスマのヨハネの教えを聞いた民衆はみな洗礼を受け、神の正しさを認めたのです。(29)しかし、パリサイ人たちや律法の専門家たちはその教えを聞きつつも、 神のみこころを拒んだのです。(30)...
ルカの福音書24章1~12節 本日の礼拝はイースター礼拝で、イエスが十字架にかかり三日目に復活された日を祝う日 です。 キリスト者はこのイエスの復活を信じています。それにより、どんな時代になろうとも 未来に希望がもてるのです。私たちの死も終着駅ではないのです。...
本日の礼拝ではイエス様の復活をお祝いして、聖歌隊と、ワーシップチームによる賛美が ささげられました。イースター卵も配られました。
ルカの福音書23章34節 本日の礼拝は、棕櫚の聖日礼拝で、イエスがエルサレムへ入場された日です。 今日から一週間を受難週と呼び、イエスの十字架を深く覚える週です。 イエスは「されこうべ(どくろ)」いう不吉な名前の場所で十字架につけられたのです。...
ルカの福音書7章11~17節 本日の箇所はルカの福音書だけに載っている箇所です。 イエスはナインの町に弟子たちや多くの群衆と一緒に行かれました。 そして町の門の所に近づきます、この門とは、町全体が城壁のようにとり囲まれており、...
ルカの福音書7章1~10節 先週の礼拝で、同じ聖書箇所より「み言葉の力」と題して説教をしました。 確かにここはそのような内容でしょう。しかし、別の視点から見てみると、今日お話しするようにも理解できるのです。 イエスがなされたわざはすべてといっていいほど恵みのみわざなのです。...
ルカの福音書7章1~10節 本日から、ルカの福音書7章に入ります。最初に百人隊長が登場します。 百人の部下がいる人です。そのうちの一人(自分のしもべ)が重い病気になり、 イエスのもとに「自分のしもべを助けてください」とユダヤ人の長老をおくり、...
本日のメッセージは宮崎友子師がご奉仕してくださいました。 伝道者の書3章1~11節 「天の下のすべての営みに時がある。」(1)のみことばから、 Ⅰ、初めがあれば終わりがあります。 「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」(2)...
ルカの福音書6章39~49節 イエスの平野の説教はさらに続きます。ここでの聖書の箇所の主題は、 「見せかけのない信仰」です。信仰は見せかけだと、 Ⅰ、自分の目の中の梁に気がつけない。(41節) 「自分の目の中の梁」に気がつけないのです。「主よ、主よ」と呼んでいても、(46)...
ルカの福音書6章43~45節 イエス・キリストの平野の説教はさらに続きます。 ここでの主題は、私たちキリスト者は良い実を結ぶために、神から選ばれ、導かれているということです。 Ⅰ、イエス・キリストに接ぎ木されている私たち...
ルカの福音書6章37,38節 今日も平地の説教(平野の説教)です。 あわれみ深い者になれたらと常に思います。なりたいけれどもなれない私たちに 主なるイエス・キリストが語られたと思うと苦しい気持ちになります。 けれども本当に私たちをあわれみ、愛してくださるゆえにこれを良い知ら...
本日のメッセージは鍋島猛先生がご奉仕をしてくださいました。 ヨハネの福音書6章22~35節 イエス様が、ひとりの少年の差し出した大麦のパン五つと魚二匹で、男性だけでも5000人以上をおなかいっぱいにされた大奇跡の翌日、大勢がイエス様を捜してカぺナウムにやって来ました。(ヨハ...
ルカの福音書6章36節 平地の説教のなかで父なる神が憐れみ深いお方であることをイエス・キリストは語ります。主イエス・キリストは父なる神を「いと高き方」(35)と呼び、そのいと高き方があわれみ深いというのです。 Ⅰ、あわれみ深い天の父(36節)...
ルカの福音書6章30~36節 前回に続き「敵を愛しなさい」のみ言葉を深めていきたいと思います。 ある牧師は中学生の時この言葉を聞き、美しい言葉と思ったそうです。 しかし、自分にはできないと思い、次第にこのみ言葉を忘れてしまったと。...
ルカの福音書6章27,28節 平地の説教のなかで特に衝撃的なイエス・キリストの教えはなんでしょうか。 私にとってはルカの福音書6章27節の言葉「あなたがたの敵を愛しなさい」です。 この言葉を守るとき、世界にまことの平和が訪れることでしょう。...