ルカの福音書15章25~24節
ルカの福音書15章は放蕩息子の話ですが、
ある牧師は二人の息子の話だいうのです。
あの放蕩息子には兄がいたからです。
この兄息子は家に入ろうとすると音楽や踊りの音が聞こえて
きたのです。彼は一人の召使いを呼んでこう尋ねます。
「これはいったい何事か」(26)と。
弟息子が家に帰ってきて、父は今、肥えた子牛を屠り、
祝宴を開いたのです。踊りと音楽がそこにあったのです。
Ⅰ、怒った兄息子(28節)
なぜ兄息子はそこまで怒ったのでしょうか。
弟息子は上等な履き物を履いていました。
そして指には指輪があったのです。
雇い人ではなく,正統な息子として、父は迎え入れたのです。
肥えた子牛を屠ったことも怒る原因でした。
兄息子の嫉妬心もあったことでしょう。
共に喜ぶどころか、怒ってしまったのです。
主イエスは人間の嫉妬心の醜さをここで示しているのかも
知れません。
共に泣くことはできても共に喜ぶことが簡単ではないのです。
人間は嫉妬深い存在なのです。
弟息子が帰って来なかったら兄息子は怒ることもなかったこと
でしょう。
Ⅱ、神の恵みの中にいた兄息子(31節)
父の思いを父の言葉で初めて知るのです。
その言葉は「子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。
私のものは全部おまえのものだ。」(31)
つまり兄息子は自分が神の恵みのただ中にいたこと、
そのことを自覚させられたのです。
この二人の息子の話を通して、
私たちは安心して神の子どもとして
神の豊かなものを頂ける特権に預かっていることを覚えるのです。
今、この日、この時間も神の恵みの中にいるのです。
私たちの神はインマヌエルの神なのです。
「神が私たちとともにおられる。」(マタイ1・23)
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