ルカの福音書16章1~13節
本章にある金持ちの家に、
一人の管理人(「家令」口語訳)おり、
しかし、その人は主人の財産を無駄使いをしているという
訴えがあったという話から始まります。
この話を、あまり良くない譬え話として
主イエスは伝えられました。
主イエスは、私たちが神のさまざまな恵みを管理する
管理者であると言われています。
私たちキリスト者は何の管理者なのでしょうか。
つまりキリスト者の心構えをここで示しています。
Ⅰ、様々な神の恵みの管理者
私たちキリスト者は、様々な神の恵みをいただいています。
しかし、そのことが実感できずにいたと思われます。
自分にはすでに持っているという意識です。
しかし、そうではなく、神の恵みによって与えられたもので
私たちは生きているのです。
そのことを謙虚に認め、
神が与えてくださっている罪の赦し、永遠のいのちが
あることを知ることです。
キリスト者は自分自身まじめで、
罪深い者であるという実感のない方が多くおられます。
神の恵みを無駄にしないで、いつも覚えていくもので
ありたいと思います。
すべての人が罪の負債を神にしているお互いなのですから。
Ⅱ、神の賜物の管理者
神の賜物とは永遠のいのちであり、
様々な賜物が神より与られています。
神はすべての人に、時間や人生を与えています。
神からいただいたものを、
神の御心に従って正しく用いていない、
そのことを自覚して欲しいと、
主イエスはこの譬え話をしています。
私たちは最後の審判のときに、
すべての会計報告を出しなさいと言われて、
「はい、大丈夫です」といえません。
公平さ、正しさも完全ではないのです。
まさにすべての人は不正な管理人と言わざる得ません。
しかし、神は愛であり、あわれみ深くあるゆえに、
裁かれることなく、赦される恵みがあります。
また任せられる(預けられる)恵みもあります。
そして、小事に忠実であることを
主イエスは求めておられます。
「最も小さなことに忠実な人は、
大きなことにも忠実であり」と。
その働きに神は祝福を与えます。
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