ルカの福音書6章43~45節
イエス・キリストの平野の説教はさらに続きます。
ここでの主題は、私たちキリスト者は良い実を結ぶために、神から選ばれ、導かれているということです。
Ⅰ、イエス・キリストに接ぎ木されている私たち
良い木であるイエス・キリストご自身に、私たちキリスト者は接ぎ木されていることを
いつも覚えたいと思います。
時には私たちがキリスト者として、良い枝であるかどうかに
とらわれすぎて、イエス・キリストに接ぎ木されていることを見失うことがあります。
イエス・キリストは言いました。「わたしにとどまりなさい。」(ヨハネ15・4)と。
とどまる時、良い木なるイエス・キリストと私たちは一体なのです。
Ⅱ、良い実を結ぶために
ただ、イエス・キリストにとどまり、つながっていれば安心というわけではありません。
良い実を結ぶためにも、私たちは日々、手入れが必要です。(ヨハネ15・2)
その手入れとは「刈り込み」であり、主の言葉によります。
主の言葉を日々、蓄えること。
時には主の言葉が火となり、焼き尽くすことがあります。(エレミヤ5・14)
蓄える言葉としては、慰めと癒しの言葉だけではないのです。しかし、それは良い実を結ぶためには必要なことです。
そして、「その良い実とは何か」というと、ガラテヤ人への手紙5章22,23節の「御霊の実」です。
その実は具体的には「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」です。
そして、私たちが良い実を結ぶことで、宣教のみ業が進むのです。私たちキリスト者は、
イエス・キリストの証人であるからです。
今や世界は大きな転換期にあります。どんな世界が始まるのか。不安の中にあります。
御霊の実を結ぶ者は、現代の希望の人となれるのです。
Comments